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壮絶な人生を送った カトリーヌ・ド・メディシス

谷川博昭
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谷川博昭
日本初の【ホリスティックビューティー美容師】 ・JAMHA ホリスティクハーバルプラクティショナー 資格取得 ・JAPA アーユルヴェーダ アドバイザー 資格取得 外側の美しさだけではなく内面から美しくなる様にお手伝いできればと思い資格を取得しました。 美容だけではなくハーブ・アロマ・食生活の情報を発信していきます。
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こんにちは!

ホリスティックビューティー美容師の谷川博昭たにがわ ひろあきです!(@tani.herb

フランスの歴史に多大な影響を与えた『カトリーヌ・ド・メディシス』

彼女の人生を書いていきます!

谷川博昭

少しではありますが、ハーブとのつながりがあるので書かせていただきます。

当時のヨーロッパの流れが分かるので、ぜひ一読下さい。

生い立ち

カトリーヌはイタリア・フィレンチェの大名家『メディチ家』に生まれました。

そして、唯一の後継者になります。

メディチ家は今でいう、銀行業で成功し『絶大な富』と『権力』を持っていました。

ルネッサンス文化の発展もこの家の貢献が大きく、一族からはローマ法王を2人排出している超名家なんです!

 

父は『ロレンツォ・ディ・メディチ』でマキャベリから君主論を献上されていましたし、

母親はフランス王家の血を引く『マドレーヌ』という方です。

すごい両親から生まれたのが、カトリーヌなのです。

ですが、父親ロレンツォは、

カトリーヌが生まれて、21日後に死にました

母親マドレーヌも、翌年に亡くなっています

 

孤児となりますが、親戚が『ローマ法王クレメンス7世』になりカトリーヌを助けてクレメンス

失礼しました。

カトリーヌは、イタリア戦争の『フィレンチェ包囲戦』では人質として幽閉されますが、

共和派が破れ救出されたカトリーヌは『フィレッチェ』から『ローマ』に移ります。

 

そこからは、お家柄に相応しい英才教育を受けました。

全てにおいて優秀な成績をおさめたカトリーヌでしたが、容姿には恵まれませんでした。

そして、14歳に成長したカトリーヌの元に縁談が来たのでした。

フランス第二王子アンリとの結婚

この結婚は、フランス側とメディチ家側の政略結婚でした

フランス側はメディチ家の莫大な富と権力を、

メディチ家側は、イタリア全土を手に入れたい思惑が合致したのです。

 

婚礼は、メディチ家の莫大な財力を見せつけるものになりました。

カトリーヌ1人に対し『1000人もの従者』がついたとされています。

様々な業種の人がいて、靴職人・料理人・パテシエなどあらゆる人材を連れて行きました。

それだけではなく、持参金は莫大なもので一説には10万エキュとも言われています。

 

その他には、山のような宝石を持参し、スーパーセレブの格の違いを見せつけました。

メディチ家の、思惑の高さが伺えます。

ここで持ち込まれた中に、カトリーヌが大好きであった【アーティチョーク】があります。(飲み過ぎ食べ過ぎが気になる方は是非見て下さい)

お腹を壊すまで、食べたとも言われています。

カトリーヌは、フランスの食文化に多大な影響を与えます。

当時、フランスは対外の戦争で情勢は安定しておらず、文化的には物凄く遅れていました。

当時のフランスの貴族は『手掴みで食事』をしていたほどです。

カトリーヌは、文化が遅れているフランスに『テーブルマナー』を教えたのです。

肉を焼いて食べるだけのフランス人に、繊細で丁寧に作られた野菜料理なども披露しました。

 

商人の子とカトリーヌをバカにしていた貴族たちは、最先端の文化を叩きつけられたのでした。

その他には、マカロンやシュー生地など(今でいうフランス菓子)やアイスクリームやシャーベットの文化も持ち込み、のちにフランス菓子は今の様に洗練されて行きます。

カトリーヌのことを、パテシエ界では【氷菓の母】とも呼んでいます。

 

そして、ファッションもほとんどカトリーヌが持ち込んだ物ばかりでした。

・ハイヒール

・扇子

・仮面(マスケラ)

・膨らんだスカート【パニエ】

・下着のズロース(カルソン)

・日傘

・ベネチアンレース

 

など、想像できる貴婦人の格好は、ほぼ全てカトリーヌのお陰と言っていいでしょう。

この様に、フランスに多大なる影響を与えましたが、

その裏では教皇クレメンス7世が結婚後、すぐに亡くなってしまいました。

教皇庁からの利益は得られなくなってしまい、カトリーヌは周囲から蔑まれていました。

 

そして、アンリ王子には大好きすぎる『ディアーヌ・ド・ポアティエ』(愛人)がいたのです。

味方になって欲しい人にまで、そっぽを向かれていたのでした。

元々、ディアーヌはアンリ王子の教育係でしたが、物凄い美人だったのです!

大理石で作った女神』と言われるほどで、頭は良く生まれの身分も高かったのです。

ですが、カトリーヌよりも、19歳も年上でした。

 

居場所のないカトリーヌは上記の様に、周囲に華やかな文化を教え、周囲を楽しませようと頑張ったのです。

H&Dは二人の愛の形

父親が死に王位を継いだアンリ2世は、

『アンリ』と『ディアーヌ』二人の頭文字のHとDを服に刺繍しました。

そこからは、戦旗やお城の壁や護衛の制服や剣などに彫り込みます。

アンリ2世が、どれだけディアーヌの事を好きだったかが伺えます。

ディアーヌは、この時40歳ぐらいです。

 

今では美魔女だね!なんて言われ結構キレイな人は多いですが、

当時はすごいことで、ディアーヌは美貌を保つ努力も相当な物だったと言われています。

カトリーヌは、その事もあり10年間も子供に恵まれませんでした。

カトリーヌの苦悩は多く、性格的に占いや魔術が好きな事もあり、周囲には占い師や道化などが付き添っていました。

 

その中には、あの『ノストラダムス』もいました。

 

夜な夜なディアーヌの元に通うアンリ2世でしたが、

アンリ2世の興奮がピークの頃に、ディアーヌはカトリーヌの元にアンリ2世を送るのでした。

実は、ディアーヌは周囲の噂とカトリーヌを気遣って、アンリ2世を送り出していたのでした。

そのおかげもあって、カトリーヌは12年間の間に『10人の子供』を産みます。いきなり凄過ぎ

 

こんな事もありました。

カトリーヌはアンリ2世がディアーヌの元で何をしてるか気になり、周りの反対を聞かず覗いてしまいました。

その光景を見たカトリーヌは、ショック過ぎて泣き叫んでしまったのです。

その後に私を。。。とディアーヌから受けた屈辱が、さらに増していきました。

 

そして、ディアーヌはカトリーヌの子供たちの教育係にもなるのです。

アンリ2世はカトリーヌが欲しかった、美くしいで有名な『シュノンソー城』をディアーヌにプレゼントしたり、

公文書の返信を任せたり、二人の署名にしたりと、

ディアーヌは実質的に、最高顧問の地位を手にしていました。

 

そんな中、アンリ2世が突然死んでしまったのです。

その時代のフランスは、『カトリック』と『ユグノー』(新教徒)の対立が激化しており、いつ爆発してもおかしくない状況下でもあったのです。

アンリ2世死後変わりゆく情勢

アンリ2世の死は、予想だにしない時に起こりました。

1559年の夏、アンリ2世40歳の時でした。

アンリ2世の娘『リザベート』の結婚を祝うもので、その余興で事件は起こります。

衛兵隊長のモンゴメアリー伯爵と騎馬の模擬試合をすることになり、やる気満々のアンリ2世は勢いよく飛び出します。

モンゴメアリー伯爵の槍が折れ、アンリ2世の右目近くを貫いてしまったのです。

アンリ2世は馬から転げ落ちディアーヌの名を呼びますが、カトリーヌは絶対に近づけさせませんでした。

10日間意識不明でしたが、7月10日に亡くなりました。

 

娘の前でいい格好を見せたかったんだと思いますが、まさかこうなるとは。。

モンゴメアリー伯爵も相手が王なので気が乗らなかったのに、まさかの展開です。

 

カトリーヌは、夫を殺した伯爵を許しませんでした。

伯爵は命さながらイギリスへ逃げ延びエリザベス1世にかくまってもらいますが、カトリーヌの執念で15年後に捕まり処刑されます。

アンリ2世の葬儀には、ディアーヌは出れませんでした。

それどころかHとDの紋章が全て剥がされていて、これから自分の身に起こる事を想像し、恐怖に震えてしまいます。

我慢に我慢を重ねてきたカトリーヌは、陰湿な仕返しをして行きます。

まず、アンリ2世から貰った物は全て返還をさせたのです。

もちろん欲しかった、キレイなお城であるシュノンソー城もです。

 

その代わり、ショーモン城を与えます。

見た目はキレイなお城ですが、中はおぞましい物でした。

カトリーヌがディアーヌに向けて『呪いの儀式』に使った物などが多く残されていました。

カトリーヌの周りにいた魔術師などが命令を受け住んでおり、数々の怪しい物が置いてありました。(小動物のミイラなど)

流石にディアーヌはそこには住みませんでしたが、これ以降表舞台に出てくることはありませんでした。

そして1566年にこの世を去ります。

67歳でした。

死因は、若返り効果があるとされていた【金のエリクシール】を多用したための中毒死でした。

67歳になっても美貌は衰えなかったのは、流石の一言です。

 

その後、15歳のフランソアが王位に着くことになります。

カトリーヌと子供達は、さらに激化する宗教争いに巻き込まれていくのでした。

黒衣の王妃 カトリーヌ

アンリ2世の死後、カトリーヌは黒い衣装しか身に纏わなくなります。

そして、元々病弱だったフランソアは即位して一年後に、高熱でこの世を去ります。

 

その後、まだ10歳のシャルル9世が王位を継ぎますが、シャルル9世も病弱で気弱でした。

カトリーヌが摂政をし情勢に合わせカトリック(旧教徒)とユグノー(新教徒)の勢力を調節してきました。

どちらかの勢力が強くなってしまっては危険と判断し、力の均衡を保っていこうとしました。

 

そんな中、新教徒の『コリニー提督』がシャルル9世との密会を繰り返します。

そして、とても親しい中になりました。

まだ子供で父親がいないシャルル9世にとっては、とても頼れる存在でした。

シャルル9世と仲良くなったコリニー提督は、スペイン人はとても悪い信徒だと教え込み、スペインと戦争をするべきだと助言します。

スペインの支配下にあるネーデルランドは、新教徒が多く住み独立をしようとしていました。

そこを支援したかったのです。

 

それを知ったカトリーヌは、激怒します。

戦争をしてもフランスには、何も得がないからです。

この事に危機を感じ、

カトリーヌは旧教徒のギース家に、コリニー提督の暗殺を依頼します。

 

ですが、暗殺は失敗してしまいました。

何も知らないシャルル9世は、犯人探しに全力になります。

もし全てがバレてしまえば自分もどうなるか分からないと考えたカトリーヌは、新教徒を全て殺して証拠の隠滅を計ろうとします。

ちょうど王の妹マルグリットの結婚式があり、多くの者がパリに集まります。

 

その時に全てを片付けてしまおうと動き出すのです。

フランスを恐怖に落とし入れた大虐殺

カトリーヌは旧教徒のギース公に伝えます。

 

新教徒たちを一人残らず殺しなさい

 

早朝、パリの街に教会の鐘の音が鳴り響きます。

それと同時に虐殺が始まったのです。

あらかじめ調べてあった人物、旧教徒のでも合言葉が言えない場合は殺されたのです。

虐殺は全土にまで広がり、犠牲者の数は1万人〜3万人とされています。

 

これでプロテスタントとユグノーの対立は決定的なものとなり、更に激化していきます。

この事件のことをサン・バルテルミの虐殺と言います。

カトリーヌの最後

この大虐殺の2年後に、シャルル9世は亡くなります。

精神的に弱いところがあったので、様々な出来事が影響したという説と、毒殺説さえあります。

 

その後、王位についた3人目の息子『アンリ3世』でした。

長身で、立ち振る舞いも優雅でイケてる男子でしたが女装癖があり、女性には興味がありませんでした。

ですが、今は敵対勢力による作り話だったとされています。

 

この時の各陣営のトップの名前が、3人ともアンリだったため【三アンリ戦争】と言われています。

・カトリックのギース公アンリ

・ユグノーのナバラ王アンリ(マルグリットと結婚)

・新国王アンリ3世

そして、ギース公アンリは、アンリ3世により暗殺されます。

病気で伏せていたカトリーヌの元にもその話は届きます。

息子の愚行を嘆きながら、カトリーヌは死んでいきました。(69歳 1589年)

 

平和的解決を望むアンリ3世は、カトリックのなかでは評判が悪く、ユグノー陣営と協力体制を取ります。

カトリック陣営は大激怒し、国が真っ二つに分裂します。

そして、アンリ3世はカットリック陣営に暗殺されてしまうのです。

 

その後をついだのは『ナバラ王アンリ

アンリ4世として、分裂した国の収集に当たります。

自身がカトリックに改宗し1598年に【ナントの勅令】を発布し、40年に近くに渡る戦争を終結させました。

その後はフランスの再建を行いましたが、カトリック信者により暗殺されてしまいます。

アンリ4世は今でも人気が高く、お札になったりもしていました。大アンリとも言われています。

まとめ

壮絶な時代を生きたカトリーヌ・ド・メディシス

アンリ2世が死去してからは一切男性の噂はなく、喪服しか着なかったカトリーヌは、とてつもなく一途な女性だったんだと思います。

サン・バルテルミの虐殺は、カトリーヌではなく『ギース公の陰謀』で起こったという説もあります。

どちらにせよ世界情勢に大きな影響を与えたことは、間違いありません。

ちなみにカトリーヌが死んだ1年後に、日本では豊臣秀吉が天下統一をしています。

日本と世界の流れも見てると面白いですよね!

 

以上で歴史編は終わりです。

またハーブと関連がかすりでもしたら書いていきますので楽しみにしていてください。

ではアケミーン♪

谷川博昭

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